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「もう少しの間」ヨハネ7:33


 実はイエスは異邦人伝道を積極的には行っていません。イエスの願いは、契約の民イスラエルの回心だからです。契約の民が神の祝福を全世界に広げる者となるはずでしたが、実際はそうなりませんでした。そのためイエスは、イスラエルが本来の使命を回復するために、まずイスラエルの回心を求める働きをしたのです(33:少しの間、あなたがたと共にいる)

しかしイスラエルは、今回の箇所におけるユダヤ人の態度や、最終的には十字架の死に追いやるという行動をもって、イエスと決別するという答えを提示しました。そのためイエスは死後、信じる者に聖霊を送り、律法ではなく信仰によって人を義と認める世界宣教の広がりをもたらしました。

 信仰義認がイエスによっては語られず、使徒たちの手紙において発展しているのは、そういった事情からだと考えられます。

 (ちなみにパウロは、新しい契約に基づくキリスト者を「神のイスラエル」と呼び〈ガラテヤ3:29,6:16〉、旧契約の神の民を「肉によるイスラエル」と呼んで〈Ⅰコリント10:18〉、区別をしています。)