29節でパリサイ人は、イエスが「どこから来たのか知らない」のでイエスを信じないと言います。イエスの出自がわからないことを、イエスを受け入れない理由としているのです。
これと似たようなことが7章でも描かれます。7章27節で、エルサレムに住む人々は、イエスが「どこから来たのか知っている」のでイエスを信じないと言います。イエスの出自がわかることを、イエスを受け入れない理由としているのです。キリスト(メシヤ)が来るときには、キリストがどこから来るのか、人にはわからないはずだと考えています。
つまり人々が、ある者を「キリストだ」と認識する基準は、曖昧で、錯綜しているのです。
「聖霊によるのでなければ、だれも『イエスは主です』と言うことはできません」(Ⅰコリント12:3)。
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